昨日はどうも、余計なことをしてしまったようだ。一応礼は言われたものの、あの後は目すら合わなかったし、帰り際にいつも通り手帳を提出したのだが、その時もあからさまによそよそしかった。いや、今まで会話もなかったのだから、よそよそしいもないか…。でも昨日のあの態度は初めてだった。やはり一介の獄卒に、仕事に介入されるのは気分を害するか…。

「…おっ、おはよう…」

まあ大王さまが微かにとはいえ狼狽える事態だ、そうそう起こらないだろう。とりあえず僕は今日も亡者の記録をとっていくだけ…。いやしかし、やっぱり目の前で暴力沙汰となると、黙っていられる状況じゃないしな。うーん、タイミングを見計らって手洗いにでも立つか?…それにしても考えてること最低だな。

「きっ昨日は本当…どうも、ありがとう、…鬼男…くん」

考えてても始まらないな。大王さまの様子も一昨日と変わらないようだし、僕一人悩んでてもアホらしいっつーか

「え?」

さっきから何か聞こえるとは思っていた。
確かに今、この部屋には大王さまと僕しかいない。けど、昨日まで碌に話したことの無かった相手がこんなに饒舌になろうとは、まして話しかけられている相手が自分だなど、誰が瞬時に思い付けよう。とにかく、今、僕は、さして会話らしい会話もしてこなかった淡白な上司が、努めて距離を詰めようとしている状況を目の前にしているわけである。なんだこの超展開。

「…いえ、差し出がましいことをしてしまったようで…。申し訳ありませんでした」

出勤して数時間たっているので、最初の朝の挨拶はスルーさせてもらう。腰を折って深々と頭を下げて侘びると大王さまは慌てた素振りを見せた。

「いやっ、あの時はああして貰って本当に助かったんだ、そうでなきゃ…」

舌を抜いて言語を奪い、畜生として転生させるしか無かったと、消え入りそうな声で言った。
あの怯えたような表情はそういうことだったのか。いくら閻魔大王といえど、そこまでの惨いことは気が咎めるのだろう。というか、魂を救うのが仕事のはず、そんな手段は選びたくないに違いない。
大変ですねと言い掛けて、いや不謹慎だろうと思ってやめた。その代わりに大王さまに開廷時間であることを告げる。会話は打ち切られるわけだが、僕の頭は既に仕事の方へとシフトしていて、大王さまが嬉しげな、それでいて少し寂しげな表情を浮かべていたのには気づかなかった。