勤務時間を終えて、部屋に据え置いてある寝台の上に腰を下ろす。
結局、あの日に決定した僕の部屋は、執務室の近くは書庫に した方が良いだろうと僕が進言してしまった所為で、一番遠い角の部屋になってしまった。でもまあ、何だかんだ言って「住めば京」とはこのこと。執務室から戻るまでの長い廊下を歩くのも、数日で慣れた。中庭を横切る渡り廊下から見える中庭には、常に鮮やかな赤を湛えた彼岸花が咲いていて、それを眺めるのも日課になってしまった。今日は蕾が増えていたな…。

頭の後ろで腕を組んで伸びをする。そのついでに体重移動して、寝台の上に倒れ込むと、

「大王ぉぉおおおおおおおおおおおおおおっっ!!?」

「うわうわわっ、ナニなに何っ!!」

寝転がった隣に、天井から軽く閻魔大王が着地した。寝台がきしりと小さく音を立てた。急いで身を起こすと、大王はキョトンとした顔をしている。…なんで?何でここに居んの…?お前先に帰った筈じゃないかっ。

「いや、あの、暇だったから。折角だし」
「折角ってお前…だからって秘書の部屋に不法侵入かよ」
「近くに人が居るって分かってたら、話しに行かないと寂しいじゃん?」

修学旅行で皆で寝るときみたいなさぁ!とよく分かるような分からないような例えを出して、必死に自分をフォローしている。 その様子を横目に見ながら、僕は軽く溜め息をつく。実はこんなことは以前にも何度かあって、少し耐性が付いてきてしまっている今日この頃である。大王はたまにこうやって突然僕の部屋に押し掛けてきては、夕食を僕に作らせる。…部屋の天井に張り付いていたのは、流石に今回が初めてだが。

「…分かりました、もう良いですよ。飯用意するんで待ってて下さい」

言いながら、寝台から腰を上げる。はーい、と子供のようにいい返事をして大王が席に着く。が、暫く台所で作業していると、ととと、と傍まで椅子を伴ってやって来て座った。視線は僕の手の動きをずっと追っている。何か無駄に緊張する…。間が持たなくなって、僕は口を開いた。

「…あの……?」
「あー、うん、暇で。気にしないで良いよ」
「いや、思いっきり気になるんですけど……つーか暇だってんなら手伝え」
「やだよ、やったこと無いもん」
「僕教えますよ?」
「…包丁怖い」
「冥府の閻魔大王が何言ってんだ…」
「…鬼男くん、喉乾いた。お茶淹れて」
「はっ!?料理してる相手に頼むか、普通!……」
「おっ、ありがと」
「…ぁあッ、ちょ!いっぱい入ってますから、気を付けて下さいよ!?」

いつもこんな調子で、二人で台所に居ると賑やかになる。会話をしていても、意識の大部分は調理作業に向いている。大王への返事はほとんど条件反射のようなものになってしまっている。それだけ、この人と一緒に過ごして、くだらない会話をすることは、僕にとって当り前のことになっていたのだ。

料理が出来たあとは、他愛のない談笑をしながら速やかに食事をする。いつも大王は美味しいと言ってくれるが、それに付け加えて一言何かコメントをくれる。野菜がこんなに食べ易いって良いね。けどこっちのはもうちょっと煮込んだ方が良かったんじゃない?
食器を片付けてそのあとは特にすることもなく、二人してダラダラしながらまた話をする。たまに思い出したように仕事の話が出てくるが、大王が見当外れのようなことを言い出して、僕がそれにつっこんで、話はみるみる脱線していく。…あぁ、それでね……あれ、何話してたんだっけ?さっきも言いましたよそれ、早く思い出して下さい。こんなやりとりはしょっちゅうだ。それなりに楽しいから別に構いはしないけれど。

「あー、そういえばそろそろ賽日だねー」
「賽日…?休みの日ですか」
「そうそう、君を雇ってからは初めてだね。いつもお忍びで現世に行ったりしてるんだけど、君も行く?」
「あ…、はい、興味あります」
「そっか、じゃあ一緒に行こう!一週間後くらいかな」

大王は暫く現世のことを僕に話して、じゃあおやすみ、と言って部屋から出て行った。
ふぅ。自覚なしに溜め息が漏れて椅子に凭れる。大王が出て行ったあとは、なんとなく台風が過ぎて行ったあとに似ている気がする。少し安心して気が抜けるけれど、わくわくする気持ちが終わってしまったような、ほんの少し物寂しさが残る。沈黙した部屋の空気に、さっきの会話を思い出す。

「賽日…。現世か……」

楽しみだな、と、その時は思った。