扉を出て足音を辿ると、廊下の壁にぽっかりと四角い穴を見つけた。無機質な灰色の階段が、長々と下へ伸びている。奥は暗くて見通せない。と、じわりと壁が塞がる気配を見せた。ぐずぐずしてはいられない。短く息を吐きだし、竦む足を叱咤するように、二段下の足場に踏み出した。

転がるような速度で階段を駆け降りた。どれだけ下ったか、もう定かではない。周囲は、踏み出す足も振りかぶる手も見えないような闇が包んでいる。それはそれで逆に良かったかもしれないが、視覚が機能しない今、他の感覚が変化を感じ始めていた。微かだが肌に絡みつくような熱、鉄の匂い。大王の話が思い出されて足が止まる。もう、手遅れだとしたら…?拒絶され、勝手に追って、傷だらけの大王のもとに辿り着いて、僕に何が出来る…。壁にあてがった手に力が入る。

「…っそれでも、行くんだよ…っ!」

震える声を絞り出す。さっきよりも速度を上げ、僕は階段を下った。


それからまもなくして、階段が終わった。前方に赤い光が見える。どうやらあそこが終着点らしい。先に感じた熱は確実に近く、鉄の匂いは咽返るほど強くなっていた。奥は荒野のような空間が広がっていて、赤の光の光源、松明が四本立っている。それらを、円状に獄卒たちが囲んでいる。獄卒たちを押しのけて前へ進もうとすると、何本もの手に肩や腕を掴まれた。ほとんど暴れるようにして振り払いながら進む。人だかりの最前列まで来て、彼らが何を中心に囲んでいるのか見えた。
じゅうじゅうと音を立てる鉄板を前に、閻魔大王が佇んでいる。その隣に一人獄卒が居て、今にも大王を鉄板の上に放り出しそうだった。

「大王!!」

誰も物音ひとつ立てず、焼ける鉄の音だけが響く空間で、吠えるように名を呼ぶと大王がこちらを向いた。紅い眼は大きく見開かれている。薄い唇が小さく動いた。「だめだ」と。
その隣で、獄卒が身じろぐ。大王の両手を掴んだ腕をほんの少し後ろへ引いた。それを予備動作であると見とめ、大王の忠告を無視して駆け出そうとした時、背後から肩を掴まれた。反射的に振り解いて、その拍子に相手の顔が見える。途端に何かが引っかかった。この顔は見たことがある。…しばらく前には…、そう、日常的に…。

「……先輩…?」

瞬時に閃く物はあったが、確かめている暇はなかった。

「うあっ…ぁあぁっあ…!!」

苦痛を訴える鋭い悲鳴が聞こえ、肉の焼ける臭いがして、僕は思考をやめて踵を返す。一瞬でも大王から意識を逸らした自分を呪いながら全速力で走る。止める腕は無かった。
灼熱の温度を抱える鉄板の前に辿り着き、その上で身を捩る大王をすくい上げる。負傷と回復を瞬時に繰り返すのだろうか、火傷はしているものの、皮膚が鉄板に張り付いているということはなかった。激しく肩で息をする大王を、傷に響かないようできるだけ優しく、しっかりと抱きしめる。僕の腕に出来た火傷を心配げに見遣る赤い瞳に、口の端で笑って大丈夫だと示す。それよりも、と腕の中の相手に問う。

「大王は大丈夫ですか? どちらにせよ早く上に戻って…」
「…駄目…っ!!」

僕の言葉を遮り、必死の形相で強く首を横に振る大王の眼は、僕の背後を見ていた。何事かと振り返ると、傍に居た獄卒が金棒を振り上げる所だった。それだけなら十分に避けられた、筈だが、その獄卒の表情の無い眼と視線がかちあった瞬間、金縛りにあったように動けなくなった。他の獄卒よりもより黒い肌、鈍く光を反射する銀髪、ひたとこちらを冷たく見下ろす金色の眼……。

「……僕……?」

ようやくそれだけ絞り出して、恐ろしい速度で金棒が振り下ろされるのを見ていた。